みなさんこんにちは!
DOJOサポーター関東支部のKです。
今年になってからモノやコトの価値、有難味を考えさせられることが多くなりました。
元日に発生した能登半島地震では当たり前の日常が、いかに貴重で有難いことなのか改めて気づかされました。
一方、先日秋葉原で発生した盗難事件ではトレーディングカード1枚が約500万円だとのこと。
自分にとっては、ほぼゴミのようなものでも特定の人には価値あるものとなる。こういったモノの価値は、かなり主観的であり相対的だと言えます。人によっても、時代によっても変わります。
では、客観的であり、絶対的に価値あるものってなんだろう考えました。
人間の生存にとって不可欠なモノ、空気(酸素)、水(水分)、日光(太陽)、これらは生きていくために必要なモノと言っても異存はないと思います。客観的に価値あるモノですが、一般的にはその有難味を感じていません。なぜならあって当たり前であり、なくなったことを想像したり、経験したりすることが少ないからです。
「練習中に水を飲むな!」
昭和時代に運動部でこう言われた経験がある人は、あるいは水の有難さを実感しているかもしれません。また、寒い地方に住んでいる人は日光の有難さを実感しているかもしれません。
しかし、空気(酸素)はどうでしょうか。有難味を実感している人はどれだけいるでしょうか。
あるいは天皇という存在。当たり前だったものが現実に不在(空位)となると具体的に国にどんな影響が出るのか。そのことに気づいている人がどれだけいるでしょうか。
よしりん先生や高森先生は、そういった盲点を指摘し、思想するきっかけを与えてくれます。
天皇「空位」も前例があるので平気という驚くべき時代錯誤 |高森明勅 公式ブログ|天皇、皇室、皇位継承問題 (a-takamori.com)
東条英機は遺書の中で、天皇について
「存在そのものが必要なのである。
それにつきかれこれ言葉をさしはさむ者があるが、これらは空気や地面のありがたさを知らぬと同様のものである」
と語っていました。
(『いわゆるA級戦犯』参照)
今や空気や地面のありがたさを知らぬと同様の日本人ばかり。
しかも、かつて天皇制を守るためにどれだけ多くの人が命を賭けたかということも知らない者ばかりだということに、危機感を覚えずにはいられません。(時浦)